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「語る資格」や「やる資格」を求める前に

ピエト


私たちは、時々何かを思いついたり、やろうとした時に、


「自分に『語る資格』があるのか?」


とか


「自分に『やる資格』があるのか?」


といった事を、考え、自問自答を始めることがあります。


アイディアを思いついた瞬間は「いいね!」と感じていた事も、考えれば考えるほど、自分の至らなさや環境の不備などが次々と目に入るようになり、


「やっぱりこれを言う(やる)のはよそう」


と、知らぬ間に消極的な姿勢になってしまうこともしばしばあります。


ここで一つ、僕は強く問いかけたいと思っていることがあります。それは、














「あなたの中に生まれた『語りたい』や『やってみたい』の気持ちは一体どこにいったんだ?」



という事です。


消極的な姿勢になっていく前提には、必ず「語りたい」とか「やってみたい」といった気持ちが強く存在しているはずです。そうでなければ、「語る資格」だの「やる資格」だのと言った事をそもそも考え、悩み始めるわけがないからです。


確かに、己の「無知」であったり「勉強不足」を見つめ直すというのは、良い事ではありますし、「語る」のにも必要な最低条件といったものも存在します。(例えば、キリスト教について語りたければやっぱり『新約聖書』などを、自分なりに読んでみる必要は出てくるでしょう。)しかし、例え「語る資格」や「やる資格」というものが存在するというのが事実であるのだとしても、「語りたい」や「やってみたい」の気持ちが無くなることはないんですよ。先ほど、「どこにいったんだ?」と言う質問をしましたが、その答えはおそらく


「どこにもいっていない」


です。どこかにも行かず、ただただ「自分」の中でくすぶり続けているものだと思うのです。


今回、何が言いたいのかと言えば、それは相も変わらずに己の中でくすぶり続けるその「語りたい」とか「やってみたい」といった気持ちを、自分で認めるのが大切ですし、


「認めるべき」



なのだと言うことです。これに対して、


「そんなこと言ったらお前、みんながみんな好き放題言って、無責任な事を言い出したりするじゃないか!!!」



といった旨の反論も聞こえてきそうなのですが、それに対して、僕はハッキリと、


「それは違う。寧ろ『逆』だ」


と答えたいと思います。


多くの無責任な言動をしたり、意味もなく他人を批難せざるを得ない人というのは、「言いたいこと(語りたい)」事を言っていたり、「やりたいこと」をやっている人なのではなく、寧ろ、


「自分の中の『語りたい』や『やってみたい』の気持ちを自分で素直に認めてあげていない人」



であったりするのです。


だってよく考えてみてくださいよ?自分の『語りたい』や『やってみたい』の気持ちを自分で認めてあげていないのに、それを自分以外の誰かが好き勝手にやってしまっている様子を見るのは、


『正・直・ム・カ・つ・き・ま・せ・ん・か?』


少なくとも僕は同じ状況になればムカつきますし、文句を言って他人の揚げ足を引っ張りたくなる人の気持ちもよく分かるんです。


逆に言えば、自分の中の『語りたい』や『やってみたい』と言う気持ちを素直に肯定できる人は、


他人の「気持ち」も素直に肯定できるようになる



とも言えます。「認めよう」ではなく、「認めるべき」と言ったのにはこういった理由があるからなんです。自分の為だけではなく、他人の為、ひいては社会のためにも自分の中の『語りたい』や『やってみたい』と言う気持ちは素直に「認めるべき」なんですよ。


そうやって産まれるのが「寛容」であり、それができる人が「優しい人」になれるのではないかなと僕は思っています。
(正直「俺が『語る資格』あんのかよ?」とか思いますが、だからこそ言ってやるぜい!笑)


まあそもそも何でこんな話をしだしたのかといえば、僕自身が「最近これができていないようなぁ」と感じていたからです。


僕はよく、鏡をじぃぃっっっっと見つめ、自分の表情や背筋、目の輝きなどをチェックしてみたり、太極拳を通じて己の身体の「自然・不自然さ」を確認したりするのですが、なんというかそこで表れる最近の「自分」というのが何だか


「気持ち悪い」


と感じてしまったんですよ。他人と喋るのにも何だか口元を隠すような感じですし、気付いたらじぃぃっっっっと他人の事を睨みつけるような目線をしていることが分かりました。イメージするにあれです。男の子がよく好きな女の子の前で声を掛けるでも何をするわけでもなく、ただ単にその子の周りを用も無いのにウロウロとうろついてしまうような、そんな感じの「気持ち悪さ」です(笑)


なぜそうなってしまっているのかと言えば、「語りたい」や「やってみたい」の気持ちを素直に認めず、ただビクビクしていたからですし、その結果、前述の通り、他人の話しを聞くときも、「何だか真剣に聞くことができていない」と感じ、それがとても自分で「勿体無い」と感じたし、「嫌だ」と強く感じたのです。


当然のことながらこんなブログを書いたり動画を公開したりしている僕だってこういう風に「語る資格」や「やる資格」を求めて彷徨い始めてしまう時もあります。そのこと自体、現状の自分に「不満」や「至らなさ」を実際に少なからず感じていることなので、コーチング的には良い側面もあるのですが、それでもやはり、自分の中の「語りたい」や「やってみたい」、の気持ちをもっともっと爆発させるべきですし、「みんなももっとできるはずなんだ!」と強く感じ、だからこそ今回はこの記事を書きました。


以上です!この記事を読んで下さった方が自分の中の「語りたい」「やってみたい」の気持ちを見つめ直すキッカケになれたのであれば、嬉しいです。


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No title

未来の自分がゴールを達成しているから、
語る資格もやる資格も生まれます。
今の自分に働きかけて自分を肯定するのはとっても難しいです。

未来の俺は○○(ゴール)を達成した、と日々思ってください。
とてつもなく大きく、遠いもの。
未来の俺が達成した、と思った時に嬉しさや誇らしさを感じられるもの。
えっ?俺ってそうなの?そうなるの?すげえな、って思えたら最高です。
無理に思い込む必要はないです。

もう読まれていると思いますが、『本当はすごい私』がお勧めです。

Re: No title

コメント返し遅れてしまい、すみません。
「未来の自分がゴールを達成している」。まさしくその通りですよね。
丁寧に指摘してくださってありがとうございます!

> 未来の自分がゴールを達成しているから、
> 語る資格もやる資格も生まれます。
> 今の自分に働きかけて自分を肯定するのはとっても難しいです。
>
> 未来の俺は○○(ゴール)を達成した、と日々思ってください。
> とてつもなく大きく、遠いもの。
> 未来の俺が達成した、と思った時に嬉しさや誇らしさを感じられるもの。
> えっ?俺ってそうなの?そうなるの?すげえな、って思えたら最高です。
> 無理に思い込む必要はないです。
>
> もう読まれていると思いますが、『本当はすごい私』がお勧めです。
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生駒 翼

Author:生駒 翼
ICU(国際基督教大学)に通っている都内の学生です。
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